逮捕された有名人 一覧

1965年の過去から最近の現在までの覚醒剤・大麻・合成麻薬などの薬物使用取締法、飲酒運転等の道路交通法違反、暴行・傷害、殺人など凶悪犯罪での逮捕や書類送検になった有名人・芸能人(歌手・俳優・女優・スポーツ選手・政治家・著名人など)の逮捕履歴一覧です。
なお、引用については、ウィキペディア(Wikipedia)新聞・週刊誌等の報道記録に基づいていますが、真偽については各自の最終判断でお願い致します。

氏  名罪  名
1965里見浩太朗銃刀法違反
俳優の里見浩太朗さんは、大御所俳優というイメージがありますが、1965年には拳銃密輸と所持によって、銃刀法違反の容疑で逮捕されています。懲役8ヶ月執行猶予3年の有罪判決を受けています。
1965平尾昌晃銃刀法違反
歌手・作詞作曲家の平尾昌晃さんは、1965年2月20日、拳銃不法所持で逮捕されました。平尾さんが独自にハワイから持ち帰り、帰国後「日頃、興行でお世話になっているから」と、名古屋と東京の暴力団組長に拳銃をプレゼントした事件が発覚しました。平尾さんは22日間拘留され、釈放後「軽率だった」との反省文が雑誌に掲載されました。
1969荒木一郎暴行傷害罪
歌手の荒木一郎さんは、1969年2月7日女優志願の女子高生に「今から映画製作担当者に会って素質をテストしてもらう」と近くのマンションに連れ込んでイタズラし、首や足に打撲傷を負わせた疑いで逮捕されました。調べに対し、喫茶店で女子高生に会ったが、その後のことはおぼえが無いと否認しています。
1969毛利 郁子殺人
元女優の毛利郁子容疑者は、12月14日朝、当時交際していた妻子持ちの男性(交際は7年越し、毛利との間に当時3歳の男児を儲けていた)を包丁で刺殺、翌日自供し逮捕される。報道によると、その男性から別れ話を切り出され将来の生活が不安になったため、脅してでも彼の態度をはっきりさせようと広峰山(兵庫県姫路市)のドライブウエーに停めた乗用車の中で翻意を促したが、応じてくれないので持っていた包丁を見せた。それでも彼は「やれるものならやってみぃ」と言ったので上腹部を刺した。1970年、神戸地方裁判所姫路支部は求刑通り懲役7年の判決を言い渡したが、大阪高等裁判所は被告人にも同情すべき点はあると一審判決を破棄、懲役5年を言い渡す。
1970柳 ジョージ大麻取締法違反
ミュージシャンの柳ジョージさんは、日大在学中の1969年、ブルースロックバンドパワーハウスを陳信輝らと結成しました。解散後一旦大学で勉学に励み半年遅れで卒業。卒業直後の1970年9月、ザ・ゴールデン・カップスの後期メンバー(ベーシスト)として加入。しかし同年、アイ高野、デイヴ平尾、ミッキー吉野らと大麻取締法違反で逮捕されました。
1973加山雄三道路交通法違反
歌手の加山雄三さんが、1月25日午前零時過ぎ小田急線代々木八幡駅わきの柵に運転の乗用車がぶつかり本人と同乗のテレビタレントの女性がけがをしました。加山さんは、都内のホテルで開かれた映画会社の新年会に出席してビールを飲んだ後近くのスナックで水割りなどを飲酒したあと、女性を送る途中でした。警察は業務上過失傷害、酒気帯び運転などで書類送検しました。
氏  名罪  名
1975沢田研二暴行傷害罪
歌手の沢田研二さんは、1975年12月、東京駅新幹線ホームにて出迎えの女性ファンの行動をなじった同駅職員に頭突きを加え、書類送検されました。また1976年5月、新幹線の車内で乗客とトラブルとなり暴行事件を起こします。こちらは被害者との示談により、書類送検は行われたものの起訴猶予以下が相当とされ不起訴処分となりました。この影響で1ヶ月間謹慎し、この年のNHK紅白歌合戦、賞レースについては暴行事件の影響で全て辞退しました。
1976克美しげる殺人
歌手の克美しげる容疑者は、『霧の中のジョニー』や『さすらい』などのヒット曲があり、紅白歌合戦にも出場経験があります。人気が低迷してきたころに、克美容疑者は妻子がいたにもかかわらず、ホステスに独身だと偽って貢がせていました。ホステスと偽装結婚までしましたが、妻子がいることを知られ、「全部ばらしてやる!」と脅された結果、自分の芸能活動の妨げになると思い、そのホステスを1976年に殺害してしまいました。殺人罪で逮捕され、懲役10年の有罪判決を受けています。
1976芹明香覚せい剤取締法
女優であった芹明香さんは1976年に覚せい剤取締法で逮捕されました。
1977岩城滉一覚せい剤取締法
俳優の岩城滉一さんは、今でこそ「ちょい悪」なカッコいいおやじというイメージがありますが、1977年には覚せい剤取締法と銃刀法違反で逮捕されています。この時の覚せい剤は暴力団から買い、さらに執行猶予の判決後にインタビューを受けた時には、「シャブを打って何が悪い」と全く反省するそぶりを見せなかったそうです。
1977研ナオコ大麻取締法違反
タレントで歌手の研ナオコさんは、1977年に大麻所持や使用などで逮捕されています。自宅から大麻が押収されたにも関わらず、事案が軽微であるという理由で、起訴猶予処分になりました。ただ、逮捕されてから半年間は芸能活動を謹慎しています。
1977美川憲一大麻取締法違反
歌手でタレントの美川憲一さんは1977年に大麻取締法違反の疑いで逮捕されています。この時は起訴猶予処分になっていますが、1984年に再び大麻取締法違反で逮捕され、執行猶予3年の判決を受けています。
氏  名罪  名
1977井上陽水大麻取締法違反
ミュージシャンの井上陽水さんは、1977年に大麻取締法違反で逮捕されています。大麻を吸った理由は、「自分はお酒が飲めないから、代わりに大麻を吸った」とのことです。執行猶予2年の判決を受けています。
1977内田裕也大麻取締法違反
ミュージシャンの内田裕也さんは1977年に大麻所持で逮捕されています。起訴猶予処分となっていますが、釈放後は「オレは10年前からやってるわけで、いつかはやられるだろうと思ってた。その点マリワナは、決して攻撃的にならない。やさしく包んでくれる。そういう意味では、アルコールよりも健康的なわけで、ただそれだけのことだよ」と述べています。
1977桑名正博大麻取締法違反
ミュージシャンの桑名正博さんは、1977年に大麻とコカインの所持で書類送検されています。さらに、その翌月には証拠隠滅を図ったとして、麻薬取締法違反の疑いで逮捕され、懲役2年執行猶予3年の有罪判決を受けています。
1977錦野旦大麻取締法違反
錦野旦さんはアイドルとして人気がありましたが、1977年にポルノ女優から譲り受けたとして大麻所持の疑いで逮捕され不起訴処分になりました。その後は、マネージャーが錦野さん名義で多額の借金をして失踪するなどのトラブルがありましたが、1990年代からまた人気が復活しています。
1977上田正樹大麻取締法違反
ミュージシャンの上田正樹さんは、1972年に「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」でデビューし、1977年にはソロデビューを果たします。しかし、ソロデビューした年に大麻取締法違反で逮捕されています。
1977内藤やす子大麻取締法違反
歌手の内藤やす子さんは、9月30日ハンドバッグの中から大麻が見つかり大麻取締法違反で逮捕(起訴猶予)されました。それまで実力派シンガーとして着実に人気と実績を築いていたが、その後芸能活動休止を余儀なくされました。前日に逮捕された研ナオコさんの日記から犯行が露見したものでした。
氏  名罪  名
1978室田日出男覚せい剤取締法
俳優の室田日出男さんは、1978年2月13日覚せい剤不法所持容疑で逮捕されました。1977年6月に東映京都撮影所の俳優会館内で、岩城滉一さんから覚せい剤を譲り受け、自分で注射した容疑でした。室田さんがこれを認めれていれば任意捜査の書類送検で終わったが、全面否認したため逮捕となり大騒ぎになりました。周りの人たちは「昼間から酒の臭いをプンプンさせていたからアルコール中毒ならまだしも覚せい剤の使用はないと思うよ」などと擁護したが、出演していたNHK大河ドラマ『黄金の日日』を途中降板(降板とともに役柄自体が消滅)。謹慎生活を送ることになりました。
1978青山ミチ覚せい剤取締法
1960年代に活躍した歌手の青山ミチさんは、1978年10月に覚せい剤取締法違反で逮捕され、 懲役6ヶ月・執行猶予3年の判決を受けました。また、覚醒剤で逮捕される前の1974年3月には万引の現行犯で逮捕された過去もあります。
1979北公次覚せい剤取締法
俳優、歌手、タレントで、アイドルグループのフォーリーブスのリーダーでもあった北公次さんは、 1979年4月12日に覚醒剤取締法違反で逮捕されました。
1979Char(チャー)覚せい剤取締法
ギタリストのCharこと竹中 尚人さんは、1979年2月8日に覚醒剤取締法違反で捜索を受け書類送検されました。
1979月亭可朝野球賭博
落語家、漫談家の月亭可朝さんは、1979年11月15日野球賭博の容疑で逮捕されました。すでに逮捕されていた野球賭博胴元の暴力団・五島組の若頭の下で注文取りをし、同じく逮捕されていた野田鏸一さんを通じて、1979年9月2日行われたプロ野球・日本ハム対近鉄、ロッテ対南海戦にそれぞれ20万円、計40万円を賭けた疑いからでした。野田さんの自供から可朝さんの名が浮かび上がり、捜査員から証拠をつきつけられた可朝さんは、翌16日夕方になって全面自供。
1980カルメン・マキ覚せい剤取締法
歌手およびロックミュージシャンであるカルメン・マキさんは、 1980年に大麻取締法違反で逮捕後の保釈中に覚せい剤を使用し逮捕されました。
タイトルとURLをコピーしました