小室哲哉 不倫報道

2018年1月17日

文春によると、小室とAさんの出会いは「ニンニク注射」(別項参照)で有名な都内のクリニックだ。そこに通っていた小室と、看護師として働いていたAさんは、いつしか“親密”な関係になった。Aさんがクリニックを辞めた後も、小室はたびたびAさんを呼んでニンニク注射を打ってもらうようになり、KEIKOが実家に帰っていた年末年始には自宅や都内のホテルで会っていたという。

 文春のインタビューに応じた小室は「誤解を招く甘い言動が多々ありました。本当に申し訳ないと思っています」「男女の関係っていろんな言い方がありますけど、僕は病人と看護師さんの関係だと思っています」と不倫関係を否定。KEIKOが在宅時にも治療のためAさんが自宅に来たこともあったという。


2021年2月26日、音楽プロデューサー・小室哲哉とglobe・KEIKOが離婚を発表した。離婚調停から2年以上を経て、19年に及ぶ夫婦関係に終止符を打った2人だが、ネット上では小室に対し「関わった女性みんな不幸になってない?」「本質は変わらないな」などの声が集まっている。

 小室は、共にglobeとして活動していたKEIKOと2002年に結婚。11年にKEIKOがくも膜下出血で倒れたあとは、献身的に看護していると思われていたが、18年1月に「週刊文春」(文藝春秋)で看護師の女性と3年にわたる不倫疑惑が報じられた。

「小室は『文春』報道の翌日に記者会見を開き、看護師女性との不倫関係は否定したものの、けじめとして音楽活動からの引退を発表しました。また、KEIKOの病状について『今は小学4年生ぐらいの漢字のドリルとかが楽しかったり……』『女性というより女の子になった』などと説明し、世間からは小室に同情の声が相次ぎました。

 しかし、のちに『文春』が会見での小室の発言は『ほとんど嘘』だったというKEIKOの親族による告発記事を掲載したことで、状況は一変。小室へのバッシングが強くなったんです。その後、同年末にKEIKO側が別居中の生活費を求める形で離婚調停がスタートしましたが、慰謝料や財産分与額について折り合いがつかず、離婚が成立まで2年以上の月日を要することに。なお、小室は多額の借金を抱えているため、一部関係者の間では、KEIKOに支払われる慰謝料はそれほど高くないのではないかともいわれています」(芸能ライター)

 1990~2000年代にかけて数々のヒット曲を世に送り出し、音楽プロデューサーとして一時代を築き上げた小室。その活躍の裏では、女性問題もたびたび起こし、世間を騒がせてきた。

 TMネットワークとしてデビューしていた88年に、当時アイドルだった女性と結婚するも4年で離婚。その後、95年に小室ファミリーの一員としてデビューした華原朋美との交際が報じられるも、3年足らずで破局に至った。

2021/03/02 サイゾーウーマンより引用

 2018年(平成30年)

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